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仙台にて(26) [地震]

今日は仙台市議選の投票日でした。春の統一地方選の時期に行われるはずだったものが、今日まで繰り延べられていました。
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3月、このようなポスター掲示板の準備が始まったなと気付いたすぐ後に地震が起きたのでした。
約5か月経って仙台市では選挙にこぎ着けましたがまだそれどころではない地域もあって、春に同時に行われるはずだった県議選は11月頃になるといわれています。

ぼくの身辺では、以前まで投票所として使われていた小学校が地滑りの被害を受けてしまったので代わって中学校が投票所になったというような影響ですが、住宅が被害に遭って区をまたいで住民票を移した人は、元の住所で支持をしていた候補がいたとしてもその人に投票できないという例もあるようです。
そして、今、行政の手厚い対応を必要としている人たちの中に上記の事例の人たちも含まれます。

当選する議員さんたちには、近所の世話役のような立場をなるべく忘れて、市全体を見渡す活動を期待するしかありません。


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子供じゃあるまいに [メディア]

あきれてしまいました。

シューカツで企業が血液型質問

シューカツで血液型を聞かれたらどうする? 就職活動で不況と東日本大震災のダブルパンチにあえぐ学生が悩んでいる。専門家は血液型による性格判断に科学的根拠はなく、面接で聞くことは差別につながりかねないと警告している。

中部地方の女子学生(21)は面接で血液型を聞かれて戸惑った。B型だが、かつて「マイペースで就活に不利な血液型だ」と言われ、気にかかっていたからだ。正直に答えたが、その会社は落ちた。

筆記も不調だったので、血液型が原因でないとは思う。しかし、被災地での態度が問題となり、7月に辞任した松本龍・前復興担当大臣が「B型だから」と言い訳していたのを見て、「B型の印象が悪くなる」とため息が出た。

男子大学院生(24)はメーカー系の面接で「君はA型ですか」と聞かれた。まじめな性格と言いたいのだろうと解釈し、「はい」と答えた。「当たったからいいが、もし違ったら対応に困ったと思う」という。

エントリーシートに記入させる企業もある。東日本にあるサービス業の採用担当者は「あくまで参考程度の質問」「特定の血液型を排除しているわけではない」としたうえで、「入社後に細かい作業をする部署もあるので、配置を考える上でも血液型を把握しておきたい」と説明する。

一方、ニセ科学に詳しい菊池誠・大阪大サイバーメディアセンター教授(物理学)は「いまだにそんな会社があるんですねえ」とあきれる。菊池教授によると、性格と血液型の関連性は見つかっておらず、「現代の迷信」という。「そもそも、自分の努力で変えられないことを就職の面接で聞くのはおかしい。企業側に自覚がなさすぎる」

日本労働弁護団の常任幹事を務める中野麻美弁護士は「仕事への適応能力をみる採用の場で、職務との関連性がない血液型の情報を求めるのは不合理だ。プライバシーを侵害し、いわれのない差別にあたるおそれがある」と話している。(岩波精)

朝日新聞(8/22)

企業に対してではありません。こんな事をぐずぐず考えている大学生がいるのかとびっくりしてしまいました。温室育ちのひ弱なもやしっ子すぎるんじゃないかなあ。

想像するに、面接官は受け答えを観察していたのではないでしょうか。
仮にその部分のやりとりでマイナス評価が付いたのだとしたら、自分の血液型を答えるだけのことで『戸惑った』り『気にかかって』いる態度が表情に出ていたんじゃないでしょうか。
「△型は××な気質といわれているけれども大丈夫ですか?」なんて訊かれたとしたら、「自分の性格が著しく仕事を妨げるとは思っていません。そういわれてみると自分の気質に当てはまる部分があるような気もするけれども、他の型の特徴といわれている所にも思い当たる部分もある。人間全てを血液型だけで4つに性格づけるなんて意味がないと思います。」とでも答えればいいじゃないですか。
結局学生の方が血液型信仰にはまりこんでるんですよ。
そしてもしぼくが面接官でそんな様子を感じ取れる学生が来たとしたら、やっぱりちょっと不安になるでしょうね。

就職はゴールじゃないんですよ。
血液型が理由で不採用になったと感じたのなら、そんな所で働くことにならなくて良かったと胸をなで下ろすのが普通じゃないですか。
そんな会社は干支で昇進を決めたり、生まれ月でボーナスを増減したり、占いで転勤を決めたりなんてこともしているかもしれません。

くだらないことを考えておどおどせずに、堂々と自分をアピールしろよ。
しっかりせい!

記事後半に出てくる大学教授や弁護士もなんだかなあ。
> 「自分の努力で変えられないことを就職の面接で聞くのはおかしい」
訊くだけでもいけませんか? ガラス細工のように繊細で美しい世界に住んでいらっしゃるんでしょう。
名前とか生年月日とか出身地とか家族構成とか、変えようのない事はたくさん訊かれているように思いますけど。
ぼくなんか家族構成が典型とは違っているから(小学校から片親で育った)、「そういう家庭環境の人は、会社の金に手を付けたりしませんか?」とど真ん中にストレートを投げ込まれた事があったなあ。今から思えばあれも反応の様子を観察されていたんでしょう。本気で心配していたのなら、黙って×を付ければ済む話です(失敗した!)。

こんな記事を印刷して配っている新聞も底が浅いというべきか、ヒマなのねと同情すべきか。
これが指折りの大手全国紙の姿です。
企業の不合理を暴くつもりならば、「排除する人を血液型で決めています」という企業を見つけてそれを盛り込んだ記事にしないと踏み込み不足じゃないですか。

今はどうなのか知らないけれど、新聞社って出身大学や知り合いの有無によってエントリーすら出来ないような時代もありましたよね(ぼくは新聞社で仕事したいと思った事はありませんが)。
そういうのは問題じゃないのかしら?

大新聞、大学教授、弁護士が「たいへんだ」と口をそろえているってことは、人気低迷で悩んでいるフットワークの軽い(頭はもっと軽~い)政治家が「就職試験における質問事項を規制する必要がある」とか言い出して、厚生労働省に新規予算を配分するようなことになるのかねぇ。
大丈夫か、この国は?


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パブリックコメント-動員される世論らしきもの(下) [社会]

前の記事で役人側の勘違いを書きましたが、市民の方にも勘違いがあります。

パブリックコメントという仕組みがあります。
総務省のHPによるとその目的は…

パブリックコメントは、国の行政機関が政令や省令等を定めようとする際に、事前に、広く一般から意見を募り、その意見を考慮することにより、行政運営の公正さの確保と透明性の向上を図り、国民の権利利益の保護に役立てることを目的としています。

と記載されています。また、国だけでなく地方自治体でも行われている制度です。

これは、命令等の文案について具体的な修正や補強の意見を求めるもので、決して人気投票ではありません。
Aという意見が30%、相対するBという意見が45%集まったからB案の命令を制定するというような集約をしてはいけないのです。
そりゃそうでしょう、こんな手法で「何が多数意見か」などと決めつけていいはずがありません。

ところが、しばしばパブリックコメントに対して勘違いした動員の呼びかけがわき起こります。
現在は『動物取扱業の適正化について(案)』への集中攻撃が進行中です。パブリックコメントとブログ検索をしてみると、雨後の竹の子のようにヒットします。

「見本文案のコピー&ペーストでよいので、あなたの意見を環境省に送ってください」と呼びかけられています。
パブリックコメントの結果も公示されていますからそれを1件でも精読してみるとわかるはずなのですが、何千通と同一文面の意見が投じられたとしても、それは1種類の意見として集約されるのです。
市民の力で役所の命令等を変えさせようとするならば、議員の尻をぴっぱたいたり署名を集めたりすることになるのでしょう。

だいたい、他人の文章を丸写しして自分の意見だと言い張ることに抵抗感がないのはどういうことなのでしょうか。
「これが正解ですよ。余計なことを考えずにノートに書き写して暗記しなさい」という訓練を長く続けて大人になる日本人の特質なのでしょうか。


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やらせ意見提出-動員される世論らしきもの(上) [社会]

九州電力のやらせ意見提出について、回りくどい表現ですが批判的に書いたことがありました(→ 続・言葉の信頼性)が、反省しなくてはなりません。
よく考えてみれば、批判にも値しない愚かな行為と見るのが適切です。
今日も新しいニュースがありました。

エネルギー庁“賛成意見 望ましい” 

九州電力の、いわゆるメール問題で、経済産業省の資源エネルギー庁の担当者が、ことし6月に開かれた玄海原子力発電所の運転再開を巡る説明会の前に、九州電力に対し「説明会では運転再開に賛成する意見があったほうが望ましい」と伝えていたことが分かりました。

この問題は、佐賀県にある玄海原発の2号機と3号機の運転再開に向けて、ことし6月、国主催の説明会が開かれる前、九州電力が原発の運転再開に賛成する意見を説明会に送るよう、社内や子会社にメールなどで指示していたものです。九州電力の関係者によりますと、国の説明会の前に、資源エネルギー庁の担当者が、東京都内で九州電力に対し、「説明会では、運転再開に賛成する意見があったほうが望ましい」と伝えていたことが分かりました。九州電力のメール問題を巡っては、佐賀県の古川知事が、説明会の前に九州電力の幹部と面会し「原発の運転再開を容認する意見を出すことも必要だ」と伝え、その後、賛成意見を求めるメールが社員などに出されていますが、資源エネルギー庁の担当者の発言は、メールが出された日より、あとだということです。九州電力は、資源エネルギー庁の担当者の発言が賛成意見の投稿を後押しした可能性もあるとして、経済産業省が設けた第三者委員会に報告したということです。

NHK NEWSWEB(8/21)

行われたのは原発に関する『説明会』であって、『意見交換会』でも『住民意向調査』でもありません。そこに(動員された)意見が届いたとしても、「住民は賛成している(あるいは反対している)」と判断を下す根拠にはならないはずです。
本当に住民の意向が知りたいのならば、正しい方法で意見集約する場が必要です。
上のニュースに登場する『担当者』は自分の担当する仕事の内容・目的を理解できているのかどうか、国家公務員としての資質を有しているのかどうか疑問符を付けざるを得ません。

こんなふうに『世論』を扱おうとする動きが出てしまうのは、制度の機能不全を象徴していると思います。
やはり個別・具体の課題に関して、直接市民の意思を問うための制度が必要なのではないでしょうか。


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ノルウェー [国際]

先月22日、ノルウェーのオスロ中心部で爆弾が爆発し、後にそこから45km離れたウートイヤ島で銃撃があって、多くの人たちが傷つきました。

事件直後にストルテンベルグ首相が語った声明が駐日本ノルウェー大使館のHPに掲載されています。
これがぼくには新鮮に感じられました。(日本のエライ人たちの言動にうんざりしているからでしょうか?)

ノルウェーは本日、衝撃的で卑劣な暴力攻撃を受けました。
誰が犯人なのかは分かっていません。多くのことがまだ不明です。
しかし、大勢が死亡し、負傷者も多数いることは分かっています。
邪悪な出来事が突如として残忍な方法で人びとを襲い、皆がこれに動揺しています。

今夜は私たち全員が大きな試練に耐えなければならないでしょう。
この先数日間は、さらに厳しい試練が待ち受けているかもしれません。
私たちはそうした試練と向き合う覚悟をしています。ノルウェーは危機にあたって結束します。
私たちは亡くなられた方々を哀悼します。
負傷された方々の苦しみを分かち合います。
そして、私たちの気持ちは被害者の家族や友人と共にあります。

今回の攻撃は罪のない一般市民に対する攻撃であり、夏期キャンプに出席していた若者に対する攻撃です。つまり国民に向けられた攻撃なのです。
攻撃した人物に、そして攻撃者の陰に隠れている者たちに、私から伝えたいことがあります。
ノルウェー全体からのメッセージです。
あなたは私たちを破滅させることはできません。
あなたは私たちの民主主義を、より良い世界を築こうとする私たちの努力を打ち砕くことはできません。
ノルウェーは小国ですが、誇り高い国家です。
爆弾で私たちを黙らせることは、誰にもできません。
銃撃で私たちを黙らせることは、誰にもできません。
脅しによって私たちをノルウェーから追い出すことは、誰にもできません。

今夜、私たちは互いを大切にします。
互いを慰め、共に語り合い、団結します。
明日、私たちは、世界に対して示すつもりです。圧力を受ければノルウェーの民主主義はより強固なものになるということを。
私たちは犯人を見つけ出し、法の裁きを受けさせます。
今夜最も重要なことは、傷ついた人々の命を助け、被害者とその家族全員を保護することです。
この数時間、人々を助け被害の拡大を防ごうと力を尽くしている警察、医療関係者その他の方々に対して敬意を表します。

私たちは自分たちの持つ価値観を決して放棄してはなりません。
私たちの開かれた社会がこの試練に耐えることを示さなければなりません。
暴力に対する答えは、民主主義をさらに強固なものにすることだということを、
相手をもっと思いやることが暴力に対する答えだということを、示さなければなりません。
しかし、純真(naïve)であってはいけません。
純真とは犠牲者とその家族に与えられるべき言葉だからです。

極右的思想を持つ犯人が逮捕された後、事件の翌週にオスロのメインモスクでイスラム教のイマームとキリスト教のビショップが並んで追悼式が行われました(→ France24ニュース)。
この式典におけるストルテンベルグ首相の言葉も格調高いものだと感じます。
"The result was a strengthened democracy. A tighter unity."
"We want to be one community. Across faith, ethnicity, gender and rank,"

この発言を受けて、今は日本に住んでいるノルウェー生まれの19歳の女性が考えを綴った文章が、作家の森達也氏のHPで紹介されています。一部だけ引用させていただくと…

 事件後にストルテンベルグ首相が、ノルウェー在住のイスラム系の人々と共にモスクで「多様性は花開く」と語ったとき、 そしてこの民主主義の核心への攻撃がかえって民主主義を強くするのだと語ったとき、 私は本当に誇らしく思いました。これこそがノルウェーだ、これは忘れてはならないこと、そして変えてはいけないこと、そう思ったのです。

首相の姿勢は、大多数、いえ、ほとんどのノルウェー人の思いの反映です。ノルウェー国民は今、なによりも共に手をとり、 互いの肩にすがって泣き、こんな攻撃に連帯を弱めさせまいとしているのです。被害者の母親の一人は、事件後にインタビューで、 「「一人の人間がこれだけ憎しみを見せることができたのです。一人の人間がそれほど愛を見せることもできるはずです」と 語っています。私の友人たちも知り合いも、みな同じ態度で臨むと言っています。

(元の文章は死刑制度とノルウェーの移民政策を論じています。)

ノルウェーの社会って強いなあと思います。
勇ましいんじゃない、強いんです。


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スポーツ中継 [社会]

前回は女性に関することを書いたのでそのつながりで見回すと、今注目を集めているのはやはりサッカー女子日本代表でしょうね(サッカーはどうでもいいような騒ぎ方も一部にあるのはどうかと思いますが)。

バンクーバー・オリンピックの時に書いたように(→ 冬季五輪ボブスレーと事業仕分け)ヨーロッパの放送局を通じて色々なスポーツ中継を視聴できる環境にあったので、ヨーロッパの女子サッカーも何度か目にしていました。
その時の印象では、ロングボールの蹴り合いが比較的多くてフィールドの真ん中あたりが間延びしたような感じで、「女子のサッカーってピッチを狭くしてやった方がいいんじゃないか」なんて失礼ながら思っていたのです。

しかし、なでしこのゲームは違ってましたね。
パスをつなぎながら前進してボールを動かすことで相手を崩して攻め込む。守備でも運動量豊富に前の方からチャージをかけて自由にさせず、後ろの壁もしっかりと機能してボールをはじき返すスタイルが貫かれていました。
だから、ドイツのスタジアムに詰めかけた観衆がある種の驚きをもって見つめて、なでしこたちのサッカーを支持したというのにもうなずけます。
(ドイツのメルケル首相はしばしばサッカースタジアムに姿を見せて、堅物の物理学者といったイメージとは違う表情で観戦していた記憶があるのですが、今回は自国開催の女子の大会だったのに出向かなかったのでしょうか。決勝戦、悪くても3位決定戦の観戦を楽しみにしていたのかな?)

向こうのテレビでは、毎週ヨーロッパのどこかで行われている陸上競技が中継されている時期でしょうか。もうすぐ韓国で世界陸上選手権が始まります。
ぼくは、2007年の大阪大会をドイツの放送局が中継する映像で眺め、2009年のベルリン大会をTBSの番組で見るというねじれた経験をしました。
競技会場の臨場感とでもいうものが伝わったのはどちらかと問われれば、それは圧倒的に大阪大会だと答えることになります。
TBSの番組は競技そのものを生中継する部分は断片的で、注目選手を紹介するVTRと競技を観戦する俳優さんの生中継映像がかなりの部分を占めていましたからね。あの内容の番組を作りたいのなら、高額な生中継の権利を買ったりせずにゆっくりと編集した方が引き締まった番組になるのではないかと感じてしまいました。

競技大会を放映したいのではなく、すでに名の知れ渡ったスター選手が予定通り活躍したり、日本人がメダルを獲得したというシーンを切り取って映し出したいのが本当のところなのでしょう。
ニュースなどで大リーグやヨーロッパ・サッカーが取り上げられても、イチローやゴジラがヒットを打った、本田や岡崎がゴールしたと伝わってくるだけで、試合そのものの勝敗やチームの順位変動がわからないことが多々あります。

何年かに一度のオリンピックや世界選手権、ワールドカップで活躍すれば爆発的に持ち上げて、成績が振るわなければ忘れ去ることを繰り返すのでなく、普段から小さな大会も取り上げて競技への関心を育てる努力があっても良いと思うのですが…。
放送局は複数あるのだから、それぞれが違う競技を取り上げて局の特徴を打ち出すのも一案だと思うのだけど…。

以前の記事(ボブスレーと事業仕分け)でも書きましたが、既存の電波放送局がやらないのだからインターネットを使った取り組みの出番なのかもしれません。


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女性運転士 [社会]

昨日の記事でチュニジアにふれたので、ついでに最近チュニジアを連想したことをもうひとつ書きます。

先日、仙台市内を走るJR電車の運転席に女性が座っているのを目にしました。2~3人の厳しい顔つきのおじさんが脇を固めていましたから、オン・ザ・ジョブ・トレーニングというやつだったのでしょうか。
東京や大阪圏ではさほど珍しくないのでしょうが、仙台では見たことがありませんでした。

その時にぼくは、「仙台圏もチュニスに近づこうと踏み出したな」と感じたのでした。

チュニスの市街地を走る電車-いわば路面電車ですが新幹線サイズの幅の線路上をいかにも重そうな車両が走っています-には女性が乗務しています。正確な数は不明ですが5~6回に1度くらい女性運転士にあたったように記憶しています。
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路線バスにも女性運転手がいましたね。仙台には指を折って数えられるくらいしかいないのではないでしょうか。見かけることは本当に稀です。

チュニジアはイスラム教徒たるアラブ人が人口の大部分を占めている国。
イスラムといえば女性を頭からつま先まで布で覆って、家庭の中へ幽閉するのだと日本のテレビでは解説しています。

しかしそのチュニジアの首都チュニスで見た光景よりも、仙台で見る光景は際だって男ばっかりなんですよ。

公共交通の運転だけで女性の就業状況を語るのは乱暴だと言われるかもしれません。
ただ、チュニジアでは様々な機関の役職者として働く女性を多く見かけました(東京電力についてだったでしょうか、記者発表かなにかに登場する人が男性ばかりなので外国人記者が違和感を漏らしたという話がありました)。起業の中心となって外国の金融機関から資金を取り付けて生産設備の輸入などの活動に取り組む女性にも出会いました。

何でも外国と比べればいいってもんじゃない、とはぼくも思います。
しかし、男女共同参画とかいうのはずいぶん前から政府方針の柱のひとつであり続け、予算の投入を続けて担当大臣もおかれている(現在は与謝野大臣)項目です。
これから先も20年、30年と課題であり続けるべきなのか。
どんな社会を希望するのか。
変わることを望むのなら、もっと効果的な方策はないのか。
など、考えることが多いような気がします。


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人間として見ているのか? [社会]

3年前、ぼくはチュニジアの建築現場の様子を見て、こんな文章を書いたことがありました。

 建築現場を見ていて気になることがあります。

作業している人たちが、家から着てきた普段着そのままといった服装で仕事をしているのです。作業服、安全靴、ヘルメットなどが広く行き渡っていないようです。

『仕事用の服装』という概念がないわけではありません。
繊維や食品などの工場では、昔のお医者さんが着ていたような丈の長いコート様の白衣(色は青が多いようですが)が用いられているのを見ましたし、会社等の建物の掃除をする人は背中に清掃会社の社名と電話番号が書かれた揃いの作業服を着ています。中等学校くらいまでの生徒たちは、普通の服装の上に袖のない薄手のチョッキのようなものを着て通学しています。

しかし建築現場では、安全に作業するための機能的な装備が考えられていないように見えます。作業服等に金を使う仕組みになっていないのか、作業員の方が慣れた普段着で仕事をしたがるのか、理由はよく分かりません。

水を使ってセメントと砂を混ぜる作業をしている人などは、帰りに履くべき靴(普段履いている靴)を汚さないようにという配慮からか、裸足になってスコップを使ってモルタルをコネコネしています。
ヘルメットや命綱なしに高所作業をしている人もいます。

イラクやアフガン、そしてコンゴやスーダンとは側面が異なってはいますが、「人間が大事にされていない」と感じる時があります。

一方で、一応定職に就きながらも自分の部屋を構えるほどの経済的余裕は無くて、個室ビデオ店で寝泊まりしている人がいるなんていうニュースに接すると、日本のベクトルも人を軽く扱う方に向いているのではと思ってしまいます。
将来日本の街角に、裸足になってセメントをこねる人が出現することがないようにがんばらなくては…。

日本と比べて『人間の命の値段』が安いなあと感じ、まさか日本の社会がそんな方向に向かうことはないよね、と考えていました。
しかし、ぼくが現実をわかっていなかったのかもしれません。

原発作業員 143人所在不明

東京電力福島第一原子力発電所で、事故のあと働いていた作業員のうち所在が分からないため被ばく量の検査ができていない人が、これまでに143人に上ることが分かりました。

厚生労働省によりますと、福島第一原子力発電所の事故のあとから働いた作業員のうち、名簿に残っている名前に該当する人が確認できず、所在が分からない人が143人に上るということです。東京電力は、この143人を含めおよそ770人について、依然として被ばく量の検査ができていないということです。このため厚生労働省は、東京電力に対して作業員の管理を徹底するよう改めて指導するとともに、今月31日までに所在の確認を行い、被ばく量の検査を終えるよう求めています。また、ことしの5月から働き始めた作業員およそ3200人の被ばく量の検査状況について、10日、東京電力が厚生労働省に報告したということです。それによりますと、これまでに検査が終わったのは2721人で、緊急時の被ばく限度となる250ミリシーベルトを超えた作業員はいませんでしたが、50ミリシーベルト以下で20ミリシーベルトを超えた人が20人いたということです。

福島第一原発で、事故のあと、働いていた作業員のうち、所在が分からないため、被ばく量の検査ができていない人が143人にのぼることについて、東京電力の松本純一原子力・立地本部長代理は、「所在が分からない作業員については、内部被ばくを調べるという健康上重要な検査を受けてもらうために、早く特定して連絡をとりたいと思っている。作業員の名簿の重複もあるとみられるので、名簿の確認作業などを進め、速やかに所在が分からない作業員を減らしていきたい」と話しています。

NHK NEWSWEB (8/10)

宮城での仕事だと聞かされて赴任してみたら福島原発で働いていたという人のことがニュースになったこともありました。他にもそんな人が多くいるのでしょう。誰なのかわからない人が143人、その人たちも含めて検査できていない人数が770人。
大変な事態だといっても、普段から管理手順がしっかりしていればこんなに混乱することはないのではと思います。

人間が使い捨ての機械部品のようにみなされていたのではないでしょうか。


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問題の本質を見つめよう [社会]

出来事自体については何か書きたくなる事ではありませんが、事後の対応があまりにも的外れなその場しのぎで、この社会の底が抜けてしまったのではないかとすら思えてしまうのです。

ひとつめは京都市での騒動。

五山送り火:陸前高田市のまき 「現地で迎え火」に 

 津波で流失した岩手県陸前高田市の高田松原の松を京都の「五山送り火」(16日)のまきにする計画が放射能汚染を懸念する声を受けて中止された問題で、震災遺族らのメッセージが書かれたまきが8日夜、同市を訪れている「大文字保存会」(京都市)の松原公太郎理事長や現地の人の手で精霊の「迎え火」として燃やされた。

 遺族らは午後7時から黙とう。333本のまきに点火した。祖母とおばを亡くした栃木県小山市の大学生、斎藤さとかさん(22)は「亡くなった方々の魂も天に昇っていくよう」と炎の上がった空を見上げていた。

 保存会はメッセージを別のまきに書き写して送り火で使う。京都市によると、中止決定以来、約250件の電話やメールがあり、大半が中止を批判する声だった。同市の門川大作市長は、協力した現地の人に「まきの一部を残し15日に京都市役所前で行うイベントで送り火のように燃やしませんか」と打診したが、断られたことを明らかにした。

毎日新聞 2011年8月8日 22時12分(最終更新 8月9日 0時40分)

京都市長のやるべきことは、「少量であれば役所の前で燃やしてもよい」と岩手に向かって許可することなのでしょうか?
京都市民に向かって、この出来事をきちんと見つめ直す機会を作るのが先ではありませんか?

事実経過を整理した上で、「放射性物質とは?」「放射性物質の付着した廃棄物の処理方法は?」などを説明して、東北地方の地図を添付した資料などはすぐに作成できるじゃないですか。そんな物を配布するのもひとつの手段かもしれません。

京都自身の『変わる努力』が見えないまま、「岩手にボールを投げたけど返ってこなかった」と言っているのでは、今回の騒動で生じた評判(風評ではありません)を回復するのは難しいでしょう。
ぼくなどは岩手よりもずっと原発に近い場所に住んでいるので、間違って京都に出かけたりしたら、ホテル等の入り口で「おいでやす」と迎えられてもフロントで住所を書いたとたんに「いちげんさんお断りどす」とたたき出されたりするんじゃないかと想像してしまうんですよ(本当に出かける予定があるわけではないので京都のみなさんはご心配なく)。

つぎにテレビ局での騒動。
東海テレビのHPには次のような記述があります。

 【お詫び】

「ぴーかんテレビ」内での不適切な表現の放送について

 8月4日(木)に放送いたしました「ぴーかんテレビ」におきまして、岩手県産ひとめぼれ10kg当選者として「怪しいお米」「汚染されたお米」「セシウムさん」等の不適切な表現が表示された字幕テロップを放送しました。福島県をはじめ原発事故による被害を受けた方々や岩手県の農業、畜産業に携わる方々にご迷惑をおかけし、視聴者の皆さまには大変不快な思いを抱かせてしまいましたことを、ここに深くお詫び申し上げます。

 8月5日(金)午前10時に岩手県庁、そして全国農業協同組合連合会 岩手県本部に、弊社のコンプライアンス担当常務取締役・祖父江伸二が訪問、直接お詫びし事情説明致しました。

【特番関連】

東海テレビは、本件に関する特番を以下のように放送しました。
番組名  :不適切な放送のお詫びとご報告
放送日時 :2011年8月5日(金) 18:36:32~18:51:27(14分55秒間)
放送エリア:東海テレビローカル(愛知・岐阜・三重県)
放送内容 :※弊社社長・浅野よりお詫び
※事実関係のご報告
※ぴーかんテレビ休止のご報告
※今後について

(弊社社長・浅野お詫び内容)

弊社(東海テレビ)の「ぴーかんテレビ」で昨日、極めて不適切な放送をし、岩手県、福島県の皆様をはじめ、多くの方々にご迷惑をおかけしました。また視聴者の皆様にも、たいへん不快な思いをさせてしまいましたことを深くお詫び申し上げます。本日は、何故このような事が起こったのか、事実関係をご報告させていただきます。また、後日改めて検証番組を放送する予定です。この度は、誠に申し訳ございませんでした。

(事実関係のご報告)

※番組で放送した内容の要約と、その後判明した事実関係を下段に付記しています。

○なぜ、このような不謹慎なテロップが放送されてしまったのか?について
1)なぜ常識を欠いた不謹慎なテロップが放送現場に存在したのか?
・問題のテロップは・・・
  • CG制作を担当する50代の男性スタッフにより作成された。
  • CG制作担当者が、実際に当選者の名前を記入する前の仮のものとして「ふざけた気持ち」で作成してしまったものだった。
  • CG制作担当者に渡す発注書には、不謹慎な文言は記載されていなかった。
・8月3日(水)(=放送前日)にテロップ画面をタイムキーパー(以下TK)が確認、その場で訂正を
 依頼した。しかし、CG制作担当者はそれを訂正の依頼と認識せず、そのまま放置した。
・8月4日(木)(=放送当日)朝、TKが問題のテロップを再度確認し、改めて訂正を依頼したが、
 CG制作担当者はこの時点でも「訂正の依頼と認識せず」放置した。
・「訂正」を巡るスタッフ間の理解の食い違い、テロップをチェックすることになっているディレクターに、
 問題のテロップの存在が伝わらなかったことで、チェック機能が働かなかったという管理体制の甘さによ
 り、常識を欠いた不謹慎なテロップが、放送の最終段階まで残ることになってしまった。
2)なぜそのようなテロップが23秒間も放送されてしまったのか?
・不謹慎なテロップが出たのは、通販コーナーのVTR O.A中だった。
 番組スタッフはその裏で、その後に予定されていたスタジオコーナーのリハーサルを行っていた。
・TKがリハーサルに合わせ当選者発表の仮テロップを準備する作業をしようとした際、仮テロップが不謹慎
 な文言のままだということに気づいたが、誤操作でテロップが放送されてしまった。
・不謹慎なテロップが画面に出た際、ディレクター他の制作スタッフは、放送画面ではなくリハーサル用の
 画面を見ながら作業をしていたため、放送画面のチェックが遅れ、その後慌ててテロップを外したが、
 結局23秒間にも渡り放送してしまった。

(ぴーかんテレビ休止のご報告)

『ぴーかんテレビ』は、当面放送を休止。コンプライアンス意識と管理体制の再検証を進める。

(今後について)

後日改めて検証番組を放送する予定です。
引き続き、原因究明と検証を重ね、このような事が二度と起こらないよう、
管理体制の見直しとコンプライアンスの徹底を図り、失った信頼を回復するため努力してまいります。

以上

この文書を作成した人は「なぜ外部にばれてしまったのか」を問題視しているんじゃなかろうかと感じるのはぼくだけでしょうか?
問題の本質は「ふざけた気持ちで作成した」とだけ述べられている所にあるんじゃありませんか?

なぜ、50歳過ぎの人が(私的なお絵かき帳でなく)会社の機材を使って(たぶん業務の一環として)あの画像を作成したのか。
他の人物もその画像を目にしていたにもかかわらず、その場で「ふざけるのもいい加減に」とか「仕事と遊びを混同するな」とか毅然と言い渡す雰囲気が社内には存在しないのか。
この部分にきちんと目を向けずに「コンプライアンス」なんてかっこいい言葉を使っていても、全く意味を成さないだろうと思います。いや、コンプライアンスという言葉を理解して使っているなら、自ずとその方向に目が向くはずなのですが…。


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難しい説得 [社会]

5月にこのブログ(→ 新興(信仰)科学? )で『保健神話』について心配を書きましたが、その後も収束することなく拡散しています。
最近の毎日新聞に、科学に基づいた対話の難しさを懸念するコラムがふたつ載りました。

・放射能デマ-とぎ汁を子に飲ませる親も = 赤木智弘 (7/28)
科学と「新時代の信仰」 = 東京大教授・坂村健 (7/31)

この手の話のプロモーターは、「既存の知識は信用ならず、自分たちの唱える説は主流の学者にとって都合が悪くなるほどに真理を言い当てているので、無視あるいは迫害されている」と自らにも言い聞かせながら説法をしています。
ですから、東京大教授という肩書きで「常識としておかしいだろ」と大手新聞紙上で指摘しても、信奉者の人たちには響かず、むしろその記事をバネにして勢いを増し、「この御用学者め!」なんて言葉を投げ返しているのが現状です。

ほんとに難しい。
いまだに糸口が見つかりません。


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